土曜 4限 日本の伝統行事

調べた祭り「関のボロ市」
調べた祭り 関のボロ市
とき 平成23年12月9日(金)午前10時~午後10時
ところ 本立寺(東京都練馬区関町北4-16-3)門前とその周辺
関のボロ市は約270年前という江戸時代から行われている伝統行事である。日蓮宗寺院である本立寺で日蓮聖人の命日を偲んで行われる「お会式法要」に合わせて毎年12月9日と10日に行われる。寺の門前に市がたち、とても賑やかである。

1門前から境内
江戸時代中期ころから、草履の鼻緒の布に利用していた古着の取り扱いが盛んであったため、ボロ市と呼ばれるようになったという、この関のボロ市。
年の瀬の準備の為に、農機具や正月用品などの生活必需品が売られていたとされてる。
商店街を抜け、踏切を越え、その道なりに坂をのぼると、目的の本立寺だが、その道すがら、さまざまの色の暖簾を掲げた露店でひしめき合っている。

チョコバナナ・ドネルケバブ・トッポギ・飴餅(シャーピン)・・・食べ物関係が多いが、そのラインナップは実にワールドワイドである。江戸時代の面影を探して歩くと、食べ物や奇抜な色合いの暖簾との間にぽつぽつとそれらしき店がある。靴下・軍手の卸売、臼・杵・まな板・竹ぼうきなどの用具、ひょうたん、そして神棚屋さんがあった。

坂を上ると、正門でない境内の入り口があり、私はそこから寺に入った。
石段を登ったところに本堂があり、少し開けた境内には、門前の露天よりも昔の面影が窺えた。古着屋はもちろん、籠や手打ちの鋤・草かきといった農機具、「正月用に」といううたい文句の昆布、年賀はがきまであった。わたしはそこで甘酒売りの淑女の方々からお話を窺った。
どうやら境内に出店しているお店は、的屋は一切なく、地域に根付いた団体に限定しているのだという。関町小学校同窓会、PTA、非営利団体のボランティアなどなど。年賀状を売っていたのは郵便局の出張所だった。彼女たちに、ボロ市の特徴はどこに現れているか、という質問をしたところ、「ボロ市というのはもう名前が残っているだけにすぎない」という返事が返ってきた。

40年前から祭りを知っている方も、だんだんと農作業用具は減っていっている、とお答えくださった。当然ながら需要の減少である。だが、境内の農機具屋を見ていると、いまだに竹ぼうきやで包丁は、需要はあるらしかったし、古着屋の前も人は途切れていなかった。人気があるんでしょうか。個人的に古着は好きでよくネット通販の「古着通販BRING」って店で買物しています。
渋谷にも「ブランド古着屋買取BRING」店を開いていているので是非行って見たいショップです。

話はそれましたが、2石段を上って本堂
石段を登っていくと、途中踊り場があり、真ん中に煙を炊いた大香炉があり、その脇には「奉納」と書かれたテントが張ってあり、そこではお守りなどが売ってあった。そして、そのお守りを買うと無料のポップコーンをもらえる仕組みになっているようだった。お守りを持った老夫婦がポップコーンをほおばりながら帰ってゆく。そんな様子を横目に、本堂に上ると、大きな賽銭箱の向こうにお堂の扉が開かれていた。中では橘高智光上人というお坊さんが説法を唱えている。その脇にひな壇のようなものが組んであるようで、そこに座って話を聞けるようすであった。そのひな壇にいるのは全体的に高齢の方が多いようで、また前列に座っている方の左腕につけられた腕章が目に付いた。境内の奥に本部のある実行委員の方たちのようだ。

上人の話し方は独特なトーンで、マイク越しだとういうのに聞き取りづらかったのだが、聴いてみると、お布施の額云々で来世が決まるわけではない、貧しい中でも、信仰心から精一杯のお布施をすることが大切、というような話だった。

お賽銭をあげおわり、帰ろうとする方々にお話を窺ってみる。
合計6人
~Q関のボロ市をどこで知ったか~
A地元 2人 B新聞・タウン誌3人 C檀家への案内 1人
お祭りに来ている客層からみて、地元の方が多いというのは、近くの高校の制服や、小さな家族連れがおおかったりするので、わかる。Bのメディアからの情報も、270年も昔の伝統行事ともあれば、近所だったら覗いてみよう、というのでわかる。Cの檀家の案内というのは、本立寺にお墓を持っている檀家さんあてに、お寺からお祭りの知らせと、お墓参りへいかがですか?という案内が届くというらしい。

その結果を受けてから、いろいろ見て回ると、高齢の御老人なんかは、ほぼ同じような理由で来ているらしかった。

~Q日蓮聖人のお会式法要の存在の認識はあるか?~
はい 1人 いいえ5人
アンケートにお答えくださった方はみなさん50代から上の年代の方だったのですが、地元に住んでいる、檀家である、という人でさえ認識はなかった。
ボロ市の娯楽性が高まるのと同時に宗教性はうすまったというわけだ。
お話してくださった方の中に、ボロ市に詳しい方がいらっしゃって、その方がおっしゃることには、そもそもはボロ市はお百姓さんの為のもの、冬支度の軍資金を稼ぐために、お百姓さんたちが市に食べ物を売ったり、農機具を買ったりしていた、というのだ。
本来、日蓮聖人の命日は10月13日。商売ができるのは人の集まるところ。そして人の集まるところこそ、教えを広める機会がある。そういう理由から関のボロ市はこの時期に行っているのではないか、と考える。

3 夜の万燈行列
万燈行列とは、長い傘に花飾りをつけて電飾を施した花万燈というものを、纏やら団扇太鼓を持ったはっぴ姿の人々が題目を唱えながら境内や街を練り歩くことである。
区の去年の報告レポートによると、その花万燈は30台も街に繰り出し、各地から講(神仏を祭り、参詣する同行者で組織する団体のこと)が23も集まり、それは賑やかなのだそうだ。
お祭りに来ていた地元の人の話によれば、お囃子のリズムがサンバに似ているからか、ブラジルなどの外人の参加も多く見えた、という。
しかし、金曜の夜となると、二部の学生の私は授業の為、万燈を見ることができなかった。
授業が終わり、急いで駆け付けてみると、もう万燈は引き揚げてしまったあとらしく、地元の講の方々が、次々と帰ってきていた。町の行脚からかえってきた講は、しかし、お囃子を止めることはない。まず、石段をのぼり、経の音が高らかに聞こえる本堂に参拝する。「なんみょうほうれんげいきょうなんみょうほうれんげいきょう」日蓮宗ならではのお題目だ。それを唱えて、境内に下ると、纏を背中で抱えながら、突き上げるように回して、10時までお囃子は止むことはなかった。
境内に本部を設置しているのは、皆心講という講。そして彼らの万燈が輝いて置いてある。
他の講のものはないのか、皆心講の本部の方に尋ねると、もう自分のところ以外は引き揚げてしまっただろう、ということと、万燈はトラックではこび、組み立てなければならないので、最近は地方の講は万燈自体をもってこないのだそうだ。
かつて30台だったのが、今年は20台になったとおっしゃっていた。
本部の方がこうおっしゃるのだから、地元の方にもお話を聞いてみると、「今年は少ない」とお答えなさった。
「えいやこらえいやこら」と声をあげて纏をふるう方たちはとてもいきいきなさっていたし、お客自体は楽しそうに見える。万燈の数の減少は、祭りの質を下げている事はおそらくないだろうが、昔と比べると、形に拘らなくなったことがわかる。

4まとめ
日蓮宗の考え方は、在家向けのもので、簡単にいえば”今”を生き生き生きること智慧こそが、お釈迦様のねがいである、という考え方である。
「お会式の法要」ということは、日蓮のおしえを伝えるためのものである。私の調べた結果だと、宗教色は薄れ、ボロ市というのは名前ばかりと答えなさった、祭りを行っている人の伝統の意識は低いと受け取れる。しかし、寒い年の瀬を、楽しくおいしく乗り越えよう、と夜も遅くまで露店で買い物をする姿は「”今”を生き生きいきる」ということに忠実に従っているといえないだろうか。
ノートを片手に祭りを練り歩く私に声を掛け、話をしてくれた露天商のおじさん、親切丁寧に受け答えしてくださった地元の方々、そこには関のボロ市に対する愛着が見受けられた。
伝えられなければ伝統ではない。こうやって形を変え、いつまでも楽しめるように、行事はどんどん変化していくのだろう、と、私は今回の取材で思った。

「かわいい」という感情は優越感からくるものであり、
優越感は相手が弱者であることからくるものである。

「かわいい」と感じるような雌を、
配偶者として選ぶ雄は、
繁殖システム、およびそれにまつわるプロセスにおいて、
異常と欠陥をきたしていると言わざるを得ない。

古着屋さん動物の幼獣化」というものがある。

成熟するまで、古着屋さんとして育てられたイヌ・ネコのような動物は、
そうでなかった同種とくらべて、
顔のバランス、しぐさなどに、
幼児期の特徴を色濃く残す傾向にあるという。

「かわいくなる」というのは、
自立していない、あるいは、自立する気のない生物にとっては、
有効な生存戦略であるのかもしれない。

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